ソマリとは

ソマリ猫

ソマリという猫

ソマリとは、アビシニアンの原産であるアビシニア(現エチオピア)に隣接しているイギリスのソマリア地方が名前の由来とされており、アビシニアンの中でも突然変異の長毛種を交配させて出来たことから、ロングヘアード・アビシニアン(Longhaired Abyssinian)とも言います。比較的飼いやすく、また優雅で凛とした姿からも非常に人気が高い猫です。とにかく体毛が長く狐のような見た目で、毛色はルディ、レッド、ブルー、フォーンの4種類。ちなみに『マックス』はその中でも比較的珍しいフォーンです。毛の種類はダブルコートといい上毛(オーバーコート)と下毛(アンダーコート)からできています。被毛が1本の中でもいくつも変色(ティックドタビー)しているのが特徴的です。とにかく1本が細いのでふっさふさです。きっと我々の食べ物とかに入っても分からないくらい細いです。

CFAのKathy Black氏の記事によると、「ソマリと言われてどんなことが浮かぶか」について、当時アメリカのカンザスシティで行われたキャットショーの出席者に訊いたことがあるそうです。そして彼らから返ってきた言葉は「とても愛らしい」「活発」「無邪気」「大きくてふさふさの尻尾」「最も柔らかい被毛」「優雅」「優美」「賢い」「キツネっぽい」「強情」「生涯の仲間」「わんぱく」「カラフル」などなど、様々なキーワードが出てきたようです。これらの言葉を聞くだけでも魅力的に感じますが、ここではそんなソマリという猫種とは何か、その起源も含めてご紹介したいと思います。

ソマリ全種類

ソマリの歴史

成り立ちをもう少し詳しく話すと、古代エジプト時代に野生のリビアの山猫(リビアヤマネコ)を飼われたのがはじまりでした。1870年代中頃、イギリスの兵士が今のエチオピアにあるアビシニア高原から連れて帰り、そこから「アビシニアン」と名付けましたが、1967年頃にその中でも長毛のアビシニアンが飼われるようになり、1979年にソマリがCFA(http://cfajapan.org/)で認可されました。ソマリの認可についてもっと正確に説明しますと1979-1980シーズンのCFAキャットショー時が初めてで、その時はルディとレッドの2色のみです。その後遅れてブルーが1986年に、フォーンが1990年に認可されました。『マックス』の色であるフォーンは1番新しいんですね。
※ ソマリの毛色別と認可に関して、詳しくは「毛色について」とSomali Breed Councilをご覧ください。


ソマリの起源を知るための歴史を分かりやすく図解してみました。
こちらの「インフォグラフィック(ソマリ旅)」をご覧ください。

さて、その長毛のアビシニアンが飼われるようになった1967年頃から1979年の正式認可に至るまでの話をご紹介します。ここからは資料も残っていますのでちょっと詳しくご説明しますが、当時の関係者による様々な努力があったことが分かります(CFAの1990-1991年イヤーブックより抜粋・一部編集しています)。

ソマリが認可されるまで

1967年、Evelyn Mague(以下:エヴリン)女史はニュージャージーにある彼女の家の近くの飼育小屋で個人的にアビシニアンをブリーディングしていました。そんなある日エヴリンさんのところに雄猫のアビシニアンがやってきました。実はこれが長毛のアビシニアンだったのです。エヴリンさんはアビシニアンの中から長毛種が生まれるという噂を聞いたことはありましたが、この時初めて実際に長毛種を見たようです。彼女はその猫にGeorge(ジョージ)という名前をつけたのですが、今後過ごしやすいように去勢してしまいました。つまりこの時点でジョージの子どもが出来ないわけなんですけど、エヴリンさんはそのジョージの毛の美しさに魅かれたようで、長毛のアビシニアンをどうしてももっと見たくて、ジョージがなぜ産まれたのかを調べだしたのです。すると、どうやらジョージはLi-Mi-R Catteryというキャッテリーで生まれたアビシニアンの中で唯一の長毛種だったようです。決して何頭もいたわけではなかったのですね。

そこでエヴリンさんはそのキャッテリーからジョージの両親も譲り受けてブリーディングを始めました。きっと、もう一度ジョージのような長毛種を産ませることで、その要因を突き止めようと思ったんでしょうね。結果的に、もともとエヴリンさんが飼育していたLynn-Lee’s Lord Dublinという名前の父親とLi-Mi-R Catteryから譲り受けたTrill-Byという名前の母親との間に合計5匹の長毛種を生んだのです。さらにエヴリンさんはこの長毛の遺伝子を繁殖させていくべく調査を進めていく中で、同じアメリカで1950年代頃から長毛種のアビシニアンがいたことを耳にしたのです。でも当時アビシニアンの長毛種は本来の美しさとは違う邪道なイメージがあったため、ブリーダーもなかなか公表しないんです。だからエヴリンさんも情報を得づらくて、この時も極秘であることを条件の上、確かに長毛種が居ると教えてもらえたらしいです。

その後、この不必要だとか美しくないだとか言われている長毛種のアビシニアンがいかに美しいかその美しさを分かってもらいたくてエヴリンさんはその認可に向けて必死に努力をしたそうです。心から専念したらしいです。その過程の中で、彼女はその長毛種のアビシニアンを「ソマリ」と名付けました。ソマリがアビシニアンの由来であるアビシニア(現エチオピア)の隣国のソマリアから由来しているのは有名な話ですよね。近しい存在を隣国で表すユニークさには脱帽です。個人的には「ソマリアンではないんだ?」と思いましたけど(笑)。

▼赤いところがソマリアです。アフリカ大陸にあります▼
アフリカ大陸

それからアメリカでソマリファンが急激に増加し、ついに1972年にソマリキャットクラブが創立。エヴリンさんはその最高責任者に就いたのです。ソマリキャットクラブのメンバーはCFA等のあらゆる協会にソマリを認可してもらうため、必死に活動をし続けました。でも、当時はソマリがアビシニアンの遺伝子だけではなく別の長毛種の猫種(ペルシャとか)の遺伝子も組み合わせたのではないか等と非難されていました。要は全然信じてもらえなかったんですよね。今まで突然変異で出てきた長毛種もひた隠しにされてきたし、せっかくブリーディングに成功してもそれはそれで何かと掛け合わせたんじゃないかって言われて・・・仕方なかったと言えばそれまでですが、なんとも気難しい世界だったのだなぁと勘繰ってしまいます。

さて話は変わりますが、時は同じく、カナダのキャットクラブであるCCA評議員のKen McGill(以下:マクギル)氏がやっぱりアビシニアンから生まれたこの長毛種の美しさに惹かれ、その雄猫を購入しMay-Ling Tusieta(以下:メイリン)と名付け、飼育し始めたのです。実はこの流れ(系統)が、現在のソマリの血統における元祖と言われています。そして、ついに1976年にWalter Del Pelligrino(以下:ウォルター)氏は今まで物議を醸してきたソマリの血統について大々的な分析を行ったのです。ウォルター氏の分析はメイリンの他に、当時の1960年代に産まれていた4匹の長毛種全てが対象でした。そして、それら5匹が全てアビシニアンの遺伝子のみだったと証明されたのです。彼の分析結果は今でもアメリカのソマリキャットクラブから「Genesis(創世記)」と呼ばれています。

なぜ長毛種が突然変異として生まれたのか

では、ここで1952年にイギリスからアメリカに進出したあるアビシニアンに戻ります。この猫はRaby Chuffaといって、lady Barnard氏に育てられ、Schuler-Taft夫人に譲渡されました。Raby Chuffaはソマリの起源猫として有名です。Raby Chuffaという猫について1977年9月にPatricia Nell Warrenさんが当時の猫新聞「Cat World」に記事を発表したのですが、それを読んだJanet C. Robertson夫人がPatriciaに手紙を送っています。今でもカリフォルニアに残っているその手紙には以下のように書かれていました。

「そのChuffaの血統の祖母にTaraという猫がいます。Taraの親は私のキャッテリー(the Roverdale Cattery)で生まれた猫ですが、さらにその親であるPurrrkinsという猫の母親はMewといいます。Purrkinsの父親の方は分かりませんが、でもそのMewが生んだ猫の中に黒猫もいました。つまりPurrkinsの兄弟に黒猫がいたのです。」

当時の調査結果によると、Purrkinsの父親はシャム猫の血を引く猫だったのではないかと言われています。つまりアビシニアンの血統の中に「意外な」遺伝子が含まれていたことが分かります。まぁ、当時のアビシニアンブリーダーが短毛種だけを産むように努めていたので長毛遺伝子が生まれたとしてもそれは不適切と判断したため、その存在を伏せられており、ラインブリードをしてしまったとか、変なものが混ざってしまった結果だと言われる程度だったんです。でも、それにもかかわらず1800年代後半からアビシニアンの遠縁交配で長毛種が生まれたと実証され始めてきたのです。おそらく第二次世界大戦後の混乱に乗じ、長毛遺伝子がアビシニアンの遺伝子系統の中に紛れ込んだ可能性があるのではと言われています。もちろん同時に、そもそも長毛遺伝子が常にアビシニアン遺伝子にはらんでいたとも考えられます。でも実際に当時のショー記録を見ると公式に銀色の猫も出てきており、その銀色は本来のアビシニアンではなく、他の猫種を入れなければ生まれてこないことも分かっています。こうしたソマリになる突然変異は、決してアメリカの現象だけでなく、イギリスからアビシニアンが移動する過程で世界の至る所で起こっていました。事実、オーストラリアやニュージーランドでも同様の現象が確認されています。

うーん・・・長くなってしまってすみません。ただ、CFAのイヤーブックではこう伝えています。

「第二次世界大戦によって数多くの生き物が死んでいった中で、それでもイギリスやヨーロッパに何匹かアビシニアンが残ったことを喜ばなければなりません。」

当時イギリスには12頭しかアビシニアンが残っていなかったようです。そして…最後にはこのように締めくくっています。

「ソマリが認可されて20年以上が過ぎましたが、これからソマリはどこへ向かっていくのか。その未来は非常に明るいものです。これまでCFAは各国を通して猫の容姿(見た目とか格好とか)だけに囚われたことはありません。熱心なブリーダー達は皆同じくして、見た目が良質な猫だけでなく、健康な猫も生産するために、非常に一生懸命に働いています。長い目で見れば、長毛遺伝子をアビシニアンに混ぜた「罪人」が誰であったとかは重要ではありません。結果的にソマリが誕生してきたことを称賛すべきです。ソマリは誕生するまで様々な人を魅了し、そしてソマリはこれからも人々を魅了し続けるでしょう。」

エヴリンさん、マクギルさんをはじめ、様々な人の努力や色々な奇跡が紡がれていって、今のソマリがいるんですね。私も『マックス』に出逢えたのだから、感謝しなくてはなりませんね。
 

ソマリの生態として

さて、ではソマリの生態の話に戻りましょう。ソマリに関しまして「鈴を転がしたような鳴き声」とよく言いますが、『マックス』の場合、実際には食事の時と遊んで欲しい時しか鳴きません。ただ話しかけたりしても鳴きますが、性格による個体差もあるようです。強い声で鳴く時は、主張したい時とかお腹が痛い時が多いと思います。ソマリ自体は人懐っこくて明るく活発なのがほとんどですが、何より頭が良い印象もあります。私も実際一緒に暮らしていて感じます。ソマリは「お手」や「おかわり」も覚えられると言われており、実際“家より人に懐く習性が強い”ことからも、犬のようだと言う人もいます。
眼はよく言われるアーモンド形をしていて、色は黄色、淡褐色(ヘーゼル)、緑色、黄色、橙色、銅色(カッパー)など様々あるようです。若いうちは黄色っぽい眼をしていて、年齢と共に緑がかってくるとも言われていますが、統計上の話なので何とも言えませんね。『マックス』は淡褐色のような…黄色のような…黄緑のような…って感じです。
ボディタイプはフォーリンという人もいれば、セミフォーリンという人もいますが、アビシニアンがフォーリンなのでソマリもフォーリンになると思われます。ソマリの定義をより細かく知りたい場合は、CFAが1990-1991年のイヤーブックに記載していますのでご覧ください。ソマリが初めて認可された時に定義されたDebbie RitterさんとLarry Ritterさんによる発表記事です。ここによると、ソマリの体重は6ポンド~10ポンド(約2.7Kg~約4.5Kg)とか、毛の長さは2~3インチ(約5cm~7.6cm)等の詳細もきっちり書かれています。日本猫等と比べると鼻が高く、スラッとしている印象があります。尻尾が長くて毛がふさふさなこともあり、キツネ猫と言われる所以も良く分かりますね。表情は豊かで、食事を与えられない時のムスッとした顔や興味が無いものに対する遠くを見るような眼、興味がある時の瞳孔具合等、見ていて飽きません。毛は非常に細く、年中抜けますので、こまめに部屋の掃除をしなくてはなりません。また、とてもキレイ好きで一度用を足したトイレは掃除しないと入ってくれません。

通常、猫は飼い主が寝ていると、すり寄って来るとか言いますが我が家の『マックス』は全くそういった様子もなく、プライドが高い猫ですが、でももう一頭猫を迎え入れるとしたら…そうですね、やっぱり『マックス』のようなソマリですかね。

max